欧州通貨統合がもたらす経営環境の変化と企業の対応 国際通貨研究所 研究員 山崎正博  欧州通貨統合は、 当初の予定通り一九九九年一月から単一通貨ユーロが導入され、 第三 段階がスタートすることがほぼ確実になってきた。 この通貨統合は欧州で活動する企業に 様々な面で影響を及ぼすと考えられている。 本稿では、 当研究所が一九九七年九月に欧州 で活動する企業に対して実施したアンケート調査およびその後のインタビューをもとに、 通貨統合により企業の経営環境がどのように変化し、 それに対応して企業がどのような経 営戦略を立てているのかについて分析する。 一 通貨統合を控えた欧州の金融機関の動向 (1) 通貨統合が金融機関にもたらす環境変化 1 金融機関の再編が加速  通貨統合により通貨や国境という垣根が取り払われることで、 欧州では一気に各国金融 機関同士の競争が激化すると考えられる。 今回の通貨統合は、 欧州大陸諸国の金融機関や 金融市場の国際化を促進する、 いわば 「大陸版ビックバン」 のきっかけとなると考えてよ いであろう。 昨年あたりから通貨統合を先取りする形で、 大陸の金融機関を中心に買収・ 合併の動きが目立つようになってきている。 一九九六年以降の欧米の金融機関の主な買 収・合併の動きをまとめると (表1) のようになる。  これらの買収・合併の動きは、 三つのパターンに分類することができる。 第一のパター ンは、 競争力を向上させるために異業種の会社の全部または一部を買収する場合である。 ナットウエストは、 二つの投資顧問会社を買収して資産運用面での競争力を強化する一方 で、 不要と判断した証券部門はドイチェ・モルガングレンフェルやバンカース・トラスト に売却している。 第二のパターンは、 スケール・メリットを狙って同業同士で買収・合併 する場合である。 ドイツではバイエリッシェ・フェラインス銀行とバイエリッシェ抵当振 替銀行の合併など相次いで二つの銀行合併が発表されている。 またINGグループは隣国 ベルギーのバンク・ブリュッセル・ランベールを買収する予定でいる。 そして第三のパタ ーンは、 グローバルな市場での競争に勝ち残るため、 同業の強者同士が合併して更に競争 力を高めようとする場合である。 モルガン・スタンレーとディーン・ウイッター・ディス カバーの合併やスミス・バーニーとソロモン・ブラザーズの合併、 そしてUBSとSBC の合併などがこの例である。 このようにして買収・合併が進み、 金融機関の少数化、 大規 模化が進行すると考えられる。 2 ユーロ建金融市場の拡大・深化  通貨が統合されることで、 従来国別通貨別に分断されていた金融資本市場がひとつにま とまり、 市場が深化・拡大することが期待されている。 アンケート結果から見ると、 株式 市場と社債市場については、 間接金融から直接金融への移行、 世界的な証券化 (セキュリ タイゼイション) の流れなどから、 多くの企業が取引量の拡大・参加者の増加を予想してい る。 特に株式市場は、 為替リスクの消滅によりユーロ圏内の年金基金のクロスボーダー投 資が増えるとの見方が多く、 市場の拡大が期待されている。 これに対し国債市場は、 各国 が財政赤字削減に努めるとの見方から、 取引量の増加を予想している企業は少ない。 また 外国為替市場に関しても、 ユーロ参加国通貨同士の取引消滅により、 取引量が減少すると 予想されている。 しかし国債市場、 外国為替市場とも市場が深化・効率化するという見方 が多く、 市場としての重要性も変わらないという見方が多い。 3 欧州の金融取引の中心地はどこに  イギリスが当初通貨統合に参加しないことが、 欧州の金融市場の勢力図にどのような影 響を及ぼすのであろうか。 アンケート調査の結果から見ると、 イギリスが予定どおり二〇 〇二年前後に参加する場合は、 ロンドンの金融市場としての重要性は変わらないと考えて いる金融機関が多い。 また、 アンケート調査では、 金融機関に、 ユーロ導入後の各市場 (外国為替市場、 株式市場、 国債市場、 社債市場、 短期金融市場、 デリバティブ・仕組商品 市場等) について、 中心的な役割を果たす都市を予想してもらった。 「ロンドンが中心地に なる」 あるいは 「ロンドン、 パリ、 フランクフルトの三大市場が併存する」 という回答を 合わせると前記のほとんどの市場で六〇~八〇%に達している。 これに対しイギリスが二 〇〇二年以降も参加しない場合は、 「ロンドンが中心地になる」 という回答は前記の各市 場とも一〇~二〇%ポイント減り、 代わって 「パリ、 フランクフルトが中心になる」 とい う回答が前記のほとんどの市場でトップになった。 ただし 「ロンドン、 パリ、 フランクフ ルトの三大市場が併存する」 という見方も根強く、 前記に挙げた多くの市場で次点に選ば れている。 つまりイギリスが当面参加しない場合でも、 ロンドンは引き続き重要な金融市 場であることには変わりないと見る向きが多い。  このようにロンドンに対して肯定的な見方が多い背景としては、 過去からの実績 (イン フラ、 ノウハウ、 人材等) もさることながら、 イギリスの中央銀行 (BOE) の姿勢を指摘 する意見が多い。 BOEは国際金融市場としてのロンドンの地位を損なわないよう、 イギ リスの参加・不参加に拘わらず早い時期から積極的に通貨統合対応に取組んできた。 在イ ギリスの金融機関にとって最大のデメリットと考えられているユーロ決済について、 BO Eはイギリスの決済システムであるチャップス(Chaps) のユーロ対応にいち早く着手し、 一九九九年一月からユーロ決済に支障がないよう着実に準備を整えている。 このようなB OEの姿勢が市場参加者に安心感を与えており、 国際的な金融市場としてのロンドンの地 位を支える大きな原動力となっていると考えられる。 (2) 今後の経営戦略 1 役割分化が進む金融機関  金融のグローバル化により金融機関の競争が激化する中、 欧米の金融機関の経営者は、 旧態依然とした経営では生き残っていけないという危機感を抱いている。 彼らは自らの実 力を認識し、 それに見合った経営戦略の見直しを行い、 限られた経営資源を得意分野に重 点的に配分することに着手し始めている。  この結果、 今後は金融機関は大きく分けて三つのカテゴリーに分化していくと考えられ る。 第一のカテゴリーは、 世界の金融市場で総合的な金融サービスを提供する金融機関で ある。 このカテゴリーに属する銀行は 「コア・バンクス (Core Banks)」 と呼ばれ、 この競 争に勝ち残ることができるのは全世界で多くても一〇行前後と言われている。 米系ではシ ティ、 チェース・マンハッタン、 バンク・オブ・アメリカ、 欧州系ではドイチェ、 ドレス ナー、 ABNアムロ、 ING、 HSBC、 新UBS (SBCとの合併銀行)、 クレディー・ スイスなどが候補と見られている。 第二のカテゴリーは、 世界規模で投資銀行業務等の専 門的な金融サービスを提供する金融機関で、 米系のJPモルガン、 モルガン・スタンレー、 トラベラーズ・グループなどが考えられる。 第三のカテゴリーは、 特定の地域の顧客を対 象に金融サービスを提供する金融機関で、 前の二つのカテゴリーに該当する金融機関以外 は全てこのカテゴリーの中に含まれる。  オーバー・バンキングの欧州では、 今後、 地域金融機関の再編が加速度的に進むことが 予想される。 アンケート調査によれば回答を寄せた金融機関のうち九〇%の金融機関が 「今後ユーロ域内で買収・合併が盛んになる」 と予想している。 しかし言語・文化・習慣の 異なる外国の企業を買収することには慎重論もある。 したがってまず国内の銀行同士で買 収・合併が盛んになり、 それが徐々にEU域内や世界といったクロスボーダーに波及して いくという見方が一般的である。 ドイツでは、 バイエリッシェ・フェラインス銀行とバイ エリッシェ抵当振替銀行が合併して、 地域に特化したスーパー・リージョナル・バンクが 誕生する。 またベルギー最大手のジェネラル・バンクは、 これまでベルギーとの国境付近 にあるベルギーと同じ文化圏のドイツやフランスの地方銀行を順次買収してきており、 隣 国の一部をも地盤とする新たな形のリージョナル・バンクを目指している。 このような動 きが今後加速していくと考えられる。 2 強化したい業務分野とトレジャリー機能の所在地  欧州の金融機関が、 収益を期待し、 今後強化していきたい業務分野として挙げているの は、 トレジャリー、 デリバティブ、 債券・株式の売買、 資産運用などの資本市場に関する 業務が中心である。 これはユーロの金融市場の深化・拡大を期待して、 新たなビジネス・ チャンスを見出そうとしている姿勢の現われだと考えられる。  この場合、 これらの資本市場業務の中核となるトレジャリー機能をどこに置くかが問題 となる。 当研究所では一九九六年十月にも同様のアンケート調査を実施しているが、 その 時の調査では、 ほとんどの銀行がトレジャリー機能をロンドンに置くと答えていた。 これ はユーロ導入がまだ一〇〇%確実でなかったこと、 本格的な準備がまだ行われていなかっ たこと、 イギリスの通貨統合への参加の如何に拘わらず、 ロンドンの金融の中心地として の絶対的優位が変わらないという考え方が支配的であったこと―等のためと推察される。 しかし今回の調査では、 欧州の金融機関のほとんどが、 本社のある地元にトレジャリー機 能を置くと答えている。 このような戦略の変化は、 通信技術の発達した現在では必ずしも トレジャリー機能を金融市場の中心地に置く必要はないこと、 それよりも営業戦略上、 地 元の顧客対応のために地元にトレジャリー機能を置くことを優先させる金融機関が多くな ってきたことが理由であると考えられる。 3 競争力の鍵となる決済業務  銀行の業務のうち、 決済業務は今後銀行の経営戦略を左右する重要な業務のひとつにな ると考えられる。 決済業務は従来、 独立した商品としては位置付けられてこなかったが、 今日では顧客の要求が多様化・高度化してきており、 銀行は顧客の囲い込みの観点から、 決 済サービスを戦略的な業務として位置付けているのである。  戦略的な金融商品の例としては、 グローバル・キャッシュ・マネージメント・サービス (グ ローバルCMS) がある。 これは世界規模で企業の資金を一元管理し資金効率を高めるも ので、 多国籍企業を中心に需要が多い。 この分野では現在シティやチェース・マンハッタ ンなどの米銀が先行しているが、 ドイツ銀行やABNアムロなどコア・バンクスの一角を 狙う欧州勢の銀行も積極的に取り組んでいる。 CMSビジネスは、 世界各国の税制・規制 に関する高度なノウハウが要求される上に、 ハードウエアへの投資やソフトウエアの開発 に莫大な費用がかかり、 非常に資本集約的なビジネスである。 このため高度なCMSを提 供できる金融機関は、 自ずと資本力があり大量の顧客を確保できるトップクラスの一握り の銀行に限られ、 今後寡占化していくことが予想される。  また決済の基本的なサービス向上も求められ、 決済時間の短縮や手数料引き下げが起こ ると考えられる。 大企業の多くは、 資金の即日決済や送金手数料の引き下げを望んでおり、 早晩ユーロ圏内の送金手数料は、 国内並みになると予想される。 二 通貨統合を控えた欧州の事業会社の動向 (1) 通貨統合が事業会社にもたらす環境の変化  通貨統合が事業会社にもたらす影響については、 一般的には金融機関ほどインパクトは 大きくないと考えられる。 欧州では一九八七年の 「単一欧州議定書」 の発効以降、 財・サ ービス・人の域内移動の自由化が進み、 一九九二年末までにいわゆる単一市場が完成して いる。 企業間の競争はその当時から始まっているという認識が強い。 したがって、 通貨統 合が及ぼす影響は、 企業同士の競争の激化よりは寧ろ、 為替リスクの減少や価格の透明性 の高まりなどが企業の営業面に及ぼす影響が中心になると考えられる。 1 ユーロ導入に伴う為替   リスクの消滅 通貨統合によりユーロ圏内で為替リスクが消滅すると、 企業にとって は様々なメリットがあると考えられる。 まず為替変動による収益の振れが無くなり、 為替 取引に要していたコストが削減できる。 それに国内に止まらずクロスボーダーでの経営資 源の最適配分をより積極的に行うことが可能になる。 アンケート調査によれば、 ユーロ導 入を期に生産拠点の移動を将来的に検討している企業は三三%とそれほど多くはなかった が、 生産拠点の立地条件としてユーロ圏であることが重要と考える企業は六七%と高い比 率を示している。 2 ユーロ導入に伴う価格の透明性の高まり  現在欧州では、 国毎の商品の価格差が明らかに存在する。 欧州委員会の調査によれば、 自動車や日用品で最大約四〇%の価格差が存在することが指摘されている。 これは流通コ ストやマージン体系が国毎に異なっていることに加え、 為替リスクのバッファー分が価格 に上乗せされているのが原因であると考えられる。 ところがユーロの導入で、 価格が同じ 通貨で表示されるようになると、 価格差は一目瞭然になる。 しかも価格情報は、 インター ネット等の情報技術の発達により、 個人でも容易に入手することができるため、 価格差に 対する消費者の関心は今まで以上に高まると考えられる。 このような状況になると、 企業 が従来のように企業が国別の価格体系を維持することが次第に困難になり、 いわゆる 「一 物一価の原則」 が国境を越えてより貫徹することになると予想される。 この流れは価格裁 定を行って安い国の商品を高い国に流す市場 (いわゆるグレー・マーケット) や広域量販店 (ディスカウント・ストア)、 通信販売の増加によって今後一層加速され、 価格の統一化・低 価格化が進行すると考えられる。 3 労働力の流動化は今後の課題  欧州通貨統合のように、 複数の国や地域が共通の通貨を導入する場合、 域内の労働力の 流動性は非常に重要な前提条件であると考えられている。 いわゆる 「最適通貨圏」 の理論 で、 地域間で経済不均衡が生じた場合に、 労働力が不況地域から好況地域に移動すること で不均衡が解消できるという考え方である。 しかし欧州においては、 財・サービスの流動 化に比べて労働力の流動化は非常に遅れている。 また将来的にも労働力の流動化には否定 的な意見が多く、 アンケート調査では、 通貨統合後五年間で労働力の流動性が高まると考 える企業は二三%に過ぎず、 あまり変わらないと考える企業が七七%と多数を占めた。  労働力の流動化が進まない原因は、 欧州は国や地域毎に言語・習慣が異なり労働市場が 分断されているという文化的な面が指摘されるが、 これ以外にも制度的な問題点があると 考えられる。 年金や失業給付、 医療保障といった各国の社会保障制度の互換性・補完性を 実現したりEU共通の社会保障制度を導入するなどして、 国を移動しても同程度の社会保 障を受けることが可能となれば、 労働者側の流動性は高まるはずである。 また同時に労働 者の雇用を守るための手厚い保護規定を見直し、 企業側の雇用の柔軟性を高めることも必 要である。 これらの点をを改善しない限り、 労働力の流動化が進まないだけでなく、 企業 の競争力にも影響が出てくると考えられる。 (2) 今後の経営戦略  事業会社の場合、 実務的なユーロ対応に限って言えば、 金融機関に比べ、 負担ははるか に軽いと考えられる。 したがって、 通貨統合をきっかけに企業戦略の見直しにまで踏み込 むかどうかという点で、 企業の対応に差が出てくると言えよう。 アンケート調査によれば、 外系企業の七三%が経営戦略の見直しを検討中で、 一八%の企業が既にその一部を実行に 移している。 このようにほとんどの外系企業が通貨統合を経営戦略の見直しの絶好のチャ ンスと捉え、 積極的に活用しようと考えているのである。 具体的な戦略としては、 販売地 域、 価格戦略、 商品仕様の見直しや財務部門の合理化などを挙げる企業が多い。  ただし、 欧州の場合は、 市場統合が進行してきているとはいえ、 国や地域毎の文化・趣 向の違いが未だ色濃く残っており、 これらの融合には長い時間がかかると考えられる。 し たがって経済全体が 「統合」 に向かう流れと現存する 「地域差」 といった相反する二つの 要素を、 戦略の中にどのように取り込んでいくかが、 企業にとって大きな課題であると言 えよう。 1 マーケティング戦略の見直し  通貨統合により為替リスクが消滅すれば、 ユーロ域内のより広範な地域での販売活動が 可能となる。 アンケート調査では、 外系企業の五〇%が販売地域の見直しをすると答えて おり、 ビジネス機会の拡大を狙っている。 企業の中には、 汎欧州的なマーケティングを実 施するため、 地域別で行っているマネージメントを商品別マネージメントに切り替えるこ とを検討している企業がある。 ただし冒頭で述べたように、 国や地域による文化・趣向の 違いが存在するため、 画一的なマーケティング手法ではうまく機能しないケースも十分に 考えられる。 当面は商品の特性により、 汎欧州的なマーケティングと、 現地化した肌理細 かなマーケティングとを使い分けながら、 販売地域の拡大を図っていくことが必要になる と考えられる。 2 価格戦略の見直し  価格の透明性の高まりに伴い、 価格戦略の見直しが必要になると考えられる。 すなわち 一国で完成する価格戦略ではなく、 複数国の状況を多元的に見ながら適正な価格を設定す ることが、 今後企業に求められるようになるのである。 そのためには、 現在価格差の原因 となっている、 各国毎に異なるマージン体系の見直しにも着手する必要がある。  しかし欧州の場合、 単純には一物一価の原則が当てはまりにくい状況がある。 一般的に 言えば、 消費者の購買動機に占める価格要素の割合が高い商品ほど価格が収斂しやすく、 低いほど価格差が残りやすいと考えられる。 欧州では、 国による文化の違いが根強く残っ ているため、 趣味・趣向といった価格以外の要素が購買動機に強く影響するケースが多い と考えられる。  価格が収斂しやすい例としては、 テレビなどの家庭電化製品が代表的である。 これらを 製造する企業では、 比較的早く価格の収斂が進むと予想しており、 汎欧的な価格戦略の必 要性を強く感じている企業が多い。 一方、 価格が収斂しにくい例としては、 自動車や事務 機器などが挙げられる。 自動車の場合、 各国国民の嗜好に応じて各メーカーとも商品の種 類や仕様を変えている。 したがって単純には価格比較は出来ない事情がある。 それに自動 車の場合、 購買動機として国民感情が大きな部分を占めるため、 価格が収斂しにくいとい う指摘がある。 ドイツを例にとると、 国民の八割以上がドイツ車しか買わないという調査 結果があると聞いている。 また事務機器の場合は、 カスタマイズやメンテナンスといった 付加価値が重要視されるため、 単純には価格の収斂が起こりにくいと考えられる。 3 社内会計へのユーロ導入  複数の通貨でオペレーションを行っている企業にとっては、 社内会計をひとつの通貨に 統合することにはさまざまなメリットがあると考えられる。 経営面ではグループ企業の連 結ベースでの管理が容易になり、 実務面では財務拠点の統廃合等によるリストラ効果や、 資金の一元管理による資金効率の向上も期待できる。  欧州の大手多国籍企業の中には、 通貨統合の当初からユーロを導入すると発表している 企業がある。 独ダイムラー・ベンツ社 (自動車) は一九九九年一月から、 独ジーメンス社 (電気機器) は新会計年度が始まる十月から、 対外的な取引も含めて全てユーロ建てに移行 すると発表している。 ダイムラー社は、 「一連のユーロ対応には二億マルクの投資が必要 であるが、 ユーロを導入することで年間一億マルクのコスト削減効果がある」 という試算 を発表しており、 ユーロ導入のメリットを強調している。  しかし、 このように移行期間の早い時期からユーロを積極的に導入する企業は、 今のと ころ多国籍企業の一部と考えられる。 中小企業では、 対応を決め兼ねている企業がほとん どである。 全体としてユーロへの移行に積極的になれない最大の理由は、 税務署等の公的 機関のユーロ導入のタイミングが現時点ではっきりしていない点にあると考えられる。 一 九九九年一月からユーロでの納税を認めているのは、 EU一五カ国のうちベルギー、 アイ ルランド、 ルクセンブルグの三カ国だけで、 ほとんどの国は対応を検討中である (一九九 七年末時点)。 中にはドイツやスウェーデンのように二〇〇二年まではユーロでの納税を認 めない方針を打ち出している国もある。  ただし、 ダイムラー社やジーメンス社の例でもわかるとおり、 大企業がユーロを採用す るとその取引先にユーロ導入が波及的に広がる可能性はある。 我々がインタビューした自 動車の部品メーカーの担当者は、 納入先の自動車メーカーがユーロ建て取引きを要求して くれば従わざるを得ないと言っており、 この流れが一般化すれば、 企業間取引については 移行期間の早い時期にユーロへの切り替えが進む可能性がある。 三 日本の企業の動向 (1) 在欧の日系金融機関の現状と課題 1 対応の遅れが目立つ日系金融機関  欧州に進出している日系金融機関は、 資本市場業務やホールセール業務が中心で、 リテ ール業務はほとんど行っていない。 このため通貨統合の実務的な準備に必要な投資金額は、 幅広くリテール業務を行っている外系銀行と比較すると少なくて済むことになる。 アンケ ート調査によれば、 外系の大手銀行では移行費用が数億ドルかかるのに対し、 日系金融機 関の場合はほとんどが五千万ドル以下で済むと答えている。 ただし金融機関同士の競争と いう点では、 日系金融機関が中心業務としている資本市場業務やホールセール業務は最も 競争が激しくなると予想される分野であり、 日系金融機関もこの競争にさらされることに なる。  このような状況下、 日系金融機関のEMU対応は、 外系金融機関に比べて遅れているこ とが指摘できる。 実務的な準備の進捗状況については、 外系はアンケート調査の回答のあ った全ての金融機関が既に準備のために投資を開始していると答えているのに対し、 日系 は約七〇%がまだ対応を検討している段階で、 投資を始めているのは僅か一〇%程度に過 ぎない。 また通貨統合を睨んだ経営戦略の策定・実施についても、 外系金融機関の八七% が新たな経営戦略の実施に既に着手していると答えているのに対し、 日系金融機関は八 〇%が未だ戦略を検討している段階に止まっているのである。 2 求められる抜本的な経営戦略の見直し  在欧日系金融機関の対応が遅れている最大の原因は、 経営陣の金融のグローバル化に対 する危機感の欠如であると言える。 日系金融機関には、 日本国内における不良債権処理な ど目先の問題にとらわれ過ぎるあまり、 世界的な金融再編の中で生き残りの道を探る中長 期的な経営戦略策定が、 なおざりにされている傾向が見られる。 経営戦略見直しのひとつ の選択肢である海外業務の見直しについては、 一九九八年四月からの外為法改正や早期是 正措置、 あるいはBIS二次規制などに後押しされる形で、 最近ようやく手がつけられ始 めたが、 まだ十分とは言えない。 今後、 世界的な金融機関同士の競争で生き残っていくた めには、 「何をやるか」 ではなく 「何をやらないか」 の選択も非常に重要であると考えら れる。 体力の劣る金融機関は海外業務からの撤退も含めた抜本的な見直しを一層進めるべ きではないだろうか。 これからは、 従来からの横並び体質を排し、 個々の企業の体力・競 争力に応じた経営戦略をとることが求められるようになろう。 (2) 在欧の日系事業会社の現状と課題 1 進まないユーロ対応  事業会社の場合も金融機関と同様で、 日系企業は外系企業に比べて通貨統合への対応が 遅れている。 アンケート調査の結果から、 実務的な準備状況を外系企業と比較してみると、 まだ準備に着手していない企業は、 外系が五%しかないのに対し日系では四二%と半数近 くもある。 また通貨統合を睨んだ経営戦略の策定に関しては、 「戦略を検討中」 または 「一部実施済み」 という企業が、 外系では九〇%を超えているのに対し日系では六三%と 低く、 逆に 「未着手」 の企業が二五%もある。  このような日系企業の対応の遅れの原因のひとつとして、 日本の本社の関心が低いこと が挙げられる。 日系企業の場合、 欧州拠点はグループの一部を占めるにすぎないため、 通 貨統合に対する本社の関心が低く、 対応も遅れがちになっている。 また日系企業の場合、 日本独特のメインバンク制が海外でも踏襲されており、 銀行との取引関係の見直しが進ん でいない。 アンケート調査によれば、 通貨統合をきっかけに 「銀行との取引関係を全面的 に見直す」 という企業が外系では四五%あり、 取引先銀行の絞り込みを具体的に検討して いる企業が多かった。 インタビューしたある外系大手の電気機器メーカーの財務担当者は、 現在全世界で三〇〇以上ある取引先銀行を将来的には二〇程度まで絞り込む計画であると 言っていた。 これに対し日系企業では、 「取引先銀行を全面的に見直す」 と答えた企業は わずか二%だけであり、 六〇%は 「不満があれば見直す」 というレベルに止まっている。 2 着実な準備が必要 ユーロの導入に関しては、 日系企業でも日産自動車、 松下電気、 ソニーが一九九九年からユーロを導入すると新聞報道されていた。 しかしダイムラー社や ジーメンス社と異なるのは、 当面は事業計画や財務諸表、 グループ企業との取引といった 社内的なユーロ導入を考えているのであり、 納入業者との取引等対外的なユーロ導入まで は想定していない点である。 日系企業は、 欧州ではマーケット・リーダー的な存在ではな いため、 まずは社内的な対応に止め、 対外的な対応は、 周囲の欧州系企業の動向を見なが ら決めていく方針をとっているのである。  また日系企業の場合は、 業種というよりも個々の企業の組織や欧州での商売の形態によ って通貨統合への対応が分かれているという点が指摘できる。 一般的には統括機能を持つ 組織があり生産・販売拠点をうまくコントロールしている企業の場合は、 トップダウン的 な経営判断により、 通貨統合を契機とした戦略や業務の見直しを積極的に検討している。 これに対し、 生産・販売拠点の力が強く、 統括組織が無いかうまく機能していない企業の 場合は、 会社として統一的な対応をとることは難しく、 ユーロ対応も実務的な必要最小限 に止めようとする傾向が強い。  事業会社は、 必ずしも一九九九年の通貨統合のスタートと同時に全てユーロに切り替え る必要はなく、 特に日系企業の場合は先陣を切って行動を起こすメリットは少ないと言え よう。 むしろ周囲の状況を見ながら先行者のノウハウを吸収しつつ着実に準備を進めた方 が堅実な対応と言えるかもしれない。 ただし最低限の対応として、 企業の競争力に支障を きたすことがない程度のユーロ対応をすることは必要であると考えられる。 この原稿は外国為替貿易研究会のご好意により、「国際金融」1998年4月1日号より転載 いたしました。